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街/二宮敏泰 2005年10月1日(土) at 08:57
いつまで続くのか分からなかった
長い霧のような雨があがりました。
雨は確実に街の地図を書き換えていました。
それぞれの思いを抱いて
この街に集まって来た人たちが
気の遠くなるような長い時間をかけて
作り出した虚ろな地図。
決して書き換えることが許されない
書店では売っていない心の地図。
大きな窓から
薄れてゆく街並を弱々しく眺めていました。
力なくsofaに座っていた
私の前で
なにやら楽しげなヤリトリがはじまりました。
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ひかり/ひぐらしひなつ 2005年10月2日(日) at 23:01
愛する風景を奪われることへの
やりきれない思いをもてあまして、
悶々と幾日も過ごしました。
この場所で時を経て描かれてきた地図を
べったりと塗り潰してしまう乱暴さ。
果たして街づくりとはそんなものなのか。
かなしみや怒りや疑問がとめどなく
わたしの胸を去来しました。
どうすればこの現実を受け容れることができるのか。
考えて考えて考えて、
前頭葉が熱っぽくなり頭がぐらぐらしてきたころ突然、
雨を降らせつづけた雲が割れ、
ひとすじのひかりが射しました。
時の流れは変えられない。
ならば失われてしまうものたちを
せめて全力で愛おしむことが、
わたしにできることのすべてじゃないか。
顔をあげたら、そこには仲間たちがいたのでした。
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出会い/二宮敏泰 2005年10月3日(月) at 18:12
出会いは突然やってきます。
昨日まで知らなかった人達が
今日、風の卵で語り合う。
テーブルにさりげなく置かれた
妖艶なスケッチ。
流れるような美しいセレモニーの台本。
遠くから眺めているだけでは
後悔してしまいそうな魅力的な計画。
いままで体験したことのない
ワクワクするような世界が
小さなテーブルの上に
果てしなく広がっていました。
仲間達は
もう走りはじめています。
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風が吹いた/ひぐらしひなつ 2005年10月4日(火) at 20:48
この場所がなくなるんだよ、と語るわたしのところへ
なにか出来ることはないのかと集まってきた仲間たち。
それぞれに忸怩たる思いを抱えながら
いくつかの夜を過ごしました。
そんなある日、
がらんと広い埠頭を眺めながら
ふと寺山香が言いました。
ここに絵を描きたいなあ。
でも、県の土地だしさすがにダメだよねえ。
いや、とわたしは思いました。
どうせ工事で一旦は剥がされてしまうアスファルトです。
埠頭の風景を愛するメンバーで
いっそ大きなアートフェスティバルを開催できたら。
幼稚園の壁画を手掛けたこともある寺山香の
美しく迫力ある作品が埠頭に横たわるイメージが、
わたしの脳内にくっきりと浮かびあがってきました。
ノダメもとで頼んでみるよ。
解体される日通倉庫の前の広場を貸してくれと
頼んで断られた昨年のことを思い出しながら、
徹夜で書きあげた企画書を持って
わたしは土木事務所に出掛けました。
この街が好きだというただそれだけの
いたって個人的な理由を、
いったいどこまで理解してもらえるのだろうか。
どうせ剥がすんじゃん、という
わたしたちにとっては合理的な理屈が
公的機関には通用しないことは
いままでの経験上で知っていたつもりでした。
それでも動かずにはいられなかったのです。
翌日、土木事務所からかかってきた電話は
「工事日程を調整しつつですが、全面協力します」と
わたしに告げるものでした。
ノうそ。
そして間もなく、県の文化振興課からも、
このイベントが県民芸術文化祭の
若者文化イベントとして採択された連絡が届きました。
わたしたちに追い風が吹きはじめました。
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浄化/二宮敏泰 2005年10月5日(水) at 23:09
地上絵と聞いただけで
心が躍るのは私だけではないと思います。
その魅力的な言葉は
神話の世界に繋がっています。
寺山さんの隣にいると
心も躯も浄化されてゆきます。
アーティストが創作している
生の現場に立ち合う機会。
何も描かれていないアスファルトを眺めてみませんか。
地上絵を描いている現場に立ち合ってみませんか。
剥ぎ取られ消えゆく地上絵を見送ってみませんか。
西大分の
過去と現在と未来を描く地上絵。
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流麗/ひぐらしひなつ 2005年10月6日(木) at 23:59
それまでにも寺山香の絵は何度か見たことがあって、
それはわたしに見せてくれるために持ってきた
色紙だったりタブローだったり、
長い巻紙に描かれたペン画だったりしたのですが、
そのいずれの作品にも
怖いまでの危うさをはらんだ生命が滾り迸っているようで、
眺めているとその美しさに絡めとられるようなのでした。
彼女が大きな絵筆をとって
この埠頭に色を置いてゆくとき、
わたしのたましいは鎮まるに違いない。
そんな確信がありました。
広大な画面を得て興奮気味の彼女が
さっそく届けてくれた下絵には
激しさと流麗さをあわせもった図案が
描かれていました。
アスファルトが舗装されなおすまでのつかのま、
まぼろしのように出現する地上絵。
その地上絵にふさわしいイベントの流れを
実現したいとつよく願ったのでした。
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外と内/二宮敏泰 2005年10月7日(金) at 16:05
風の卵を訪れるたびに
不思議な錯覚に陥ります。
家の中と外が繋がっているのです。
大きな窓から夕日が差し込むと
外側と内側が溶け合います。
今回のイベントで
喫茶の中の喫茶という
摩訶不思議な空間を創造する
計画を聞いた時、目眩を起こしそうでした。
内側の内側に展示される作品は
私達の知らない、
でもすぐ隣にある世界の住人のようです。
地上絵のある外側と内側が繋がり
内側にもうひとつの内側がある。
私の文章も目眩を起こしています。
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純潔/ひぐらしひなつ 2005年10月8日(土) at 23:22
「ねえ、喫茶内喫茶やっていい?」
藤崎友子があるとき唐突にわたしに訊ねました。
艶かしく異彩を放ちつつもどこか笑いの要素を含み
この時空間のものとは思えないオブジェを作る彼女の
ずっと以前からやりたかったことのひとつが、
インドチャイ屋さんなのだということでした。
インドの路上で大鍋で湧かしたチャイを振る舞うように、
自分の作品を展示した空間で観客を接待したい。
藤崎友子のそんな希望は、
イベント期間中は店番の余裕もなさそうな
わたしにとっても非常にありがたい話で、
一も二もなく賛同しました。
こうして風の卵の奥の一角に、
実に奇妙な期間限定チャイ専門店が
突如として出現することになったのです。
その名も「喫茶内喫茶*ギャラリー純潔」。
藤崎自身やその作品を知る者にとっては爆笑しながら腑に落ちる、
そして知らない人たちには何事かと思わせてしまう、
うれしはずかしなネーミングですね。
わたしの「かぜたま」がどうなってしまうのか、
楽しみな気持ちは膨らむ一方です。
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隣/二宮敏泰 2005年10月9日(日) at 16:20
藤崎さんの作品を見て
想像してみました。
たとえば私が今住んでいる部屋。
外出した後の部屋の中には
誰もいません。
でも
もしかしたら藤崎さんの作品達が
私の部屋の中で自由に戯れているかもしれません。
そんな想像をさせてくれます。
日常のすぐ隣にある
非日常の世界。
決して交わることのない
日常と非日常。
藤崎さんの作品達は
5分後の世界から
やってきた
空間移動装置。
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受信可能/ひぐらしひなつ 2005年10月10日(月) at 20:21
ある日、藤崎作品の写真を見たTAKAさんが言いました。
「あ、オレ今朝コレ見た!!」
ノえ。何処で。この、タマゴにでっかい目のついた作品を。
「それがな、マジレンジャーに出ちょった!
半目になったときにフワーってカビの菌を出すんやんか。
そんでカッて目を見開いたときに、
カビの菌を浴びちょった人たちがみんな死ぬんや」
ノな、なるほど、子供向けの戦隊モノね。日曜の朝に放映している。
確かにそういうのに出てそうかもノ。
納得しつつも笑いが止まりません。
本当に、藤崎の作品は、どこかで笑いに繋がっている。
キッチュなようであり、シニカルなようであり、
それはどこまでもクソ真面目に生きる人が晒す
不器用で不格好な命のありようが
笑えて仕方ないんだけれども
どこかかなしみを孕んでいるような、
そんな可笑しさで。
愛があるんだよねぇ、愛が。
もしかしたら藤崎作品は、
懸命に生きるひとだけが受信できる電波発信装置なのかもしれません。
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無垢/二宮敏泰 2005年10月11日(火) at 14:43
歌、音、映像、絵の具、粘土、流木、布、写真など
さまざまな素材を自在に操る
いろいろなジャンルのアーティスト達が
もうすぐ西大分埠頭に集結します。
予想できない響宴。
ひとつの場所、ひとつの目的にむかって
目に見えない何かに導かれるように
人々は集まってきます。
それは異界からのメッセージを受信した人々。
星や魔法の物語が大好きな少女。
怪獣や冒険小説が大好きな男の子。
子供の心を持つ大人達が描く
純真無垢な世界。
僕らの9日間戦争。
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うねり/ひぐらしひなつ 2005年10月12日(水) at 10:16
得体の知れない引力に導かれるように
わたしたちは集まりました。
意識を超えたなにかに動かされるように
事態は展開します。
ひとりひとりのパワーが集結して
大きな気のうねりが見えはじめました。
不思議な高揚感がわきあがってくるのが感じられます。
いくつかの喪失を経験しながら、
この大きなイベントを成し遂げた頃に
わたしたちそれぞれは
かけがえのない何かを手にしているのではないか。
そんな気がしてならないのです。
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再生/二宮敏泰 2005年10月13日(木) at 17:51
砕け散った心のかけらを呆然と眺めていた
あの日とは違う自分がここにいます。
一人で乗り越えないといけない。
一人で生きて行かなければならない。
でも
一人では何もできないことを知っています。
ここに集まって来た一人一人が
かけらを拾い、
そのかけらに新しいカタチを与える。
そのカタチは新しいかけらになり、
再生の礎となります。
アーティスト達は今、
とても苦しく、せつなく、幸せな時間を過ごしています。
それは二度と味わうことのできない密度の濃い時間です。
イベントの日、
その思いがいっせいに解放されます。
解放された思いはいろいろなカタチになって
私達の前に現れます。
その時
再生のセレモニーがはじまります。
†
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